友達は大事
たとえば「友達は大事だ」という言葉
これ自体は、個人的には
「そういうこともあるかもな」くらいには思うし
人によっては、強い共感を覚えるような
「いい言葉、高い価値ある言葉」かも知れない
物語
他人に(あるいは、広く皆に)
「友達は大事だ」ということを言いたいならば
「友達は大事だ」という言葉だけを
単に言うだけでは無くて
普通は…たとえば
「何か、困った時に、友達が助けてくれた」と
いうような エピソードを語るなどして
「友達が大事だと感じられるようなお膳立て」を
した上で、伝えようとするものだ
コンテンツ
長編の 小説やマンガ、映画などでも
その中では、様々な出来事が起きて
解決されたりするけれど…
そのテーマが「友情」みたいなもので
あることは多いようには思う
「詩」とか「歌(の歌詞)」「絵や写真」などの
芸術作品に、そうした主張が
込められることだって 普通によくある
乱暴な考え方をするならば…そうした作品だって
趣旨(言いたいこと)は、
「友達は大事だ」という 一言と、同じモノで
あるかも知れない
ひきつけるパワー
もちろん「単なる一言」と
様々な 表現手段やアイデアを込めて作られた
コンテンツが、「同じ」わけでも無い.
大きな違いは、なんといっても
「人をひきつけるパワー」が違う.
同じ主張ではあっても
それが、長編のストーリーだったり、
大金をかけて作られた映画であるというだけで
「なんだか、見る価値がありそうだ」と思わせて
それを 見る人は、格段に増えるはず.
「友達は大事だ」という言葉を
ただ 受け取るだけならば
誰もが、一瞬で、しかも無料(ほぼノーコスト)で
できてしまうというのに
それよりも、時間やカネもかかる
コンテンツや作品の形のほうで
それを受け取ろうとする人のほうが、うんと多い
…なぜならば、単なる言葉は、
たとえそれが共感できる真実ではあろうが
それ自体は「つまらない、楽しめない」
ものであり、わざわざ見る価値が薄いから
説得力
そして、コンテンツというのは
言いたいことに 強い「説得力」を
もたせることができる.
今日 出している「友達」の例で言えば…
実際は「友達」って
助けてくれるという「良い面」ばかりでは無くて
自分の考えや行動を縛るような
「邪魔」となることもあるし、
時には、「敵」になることだってある.
何事にも、良い面と悪い面は あるもので.
そして、ある人が その「メリット」のほうを
主張したい!というのであれば
コンテンツの作者として
「友達って、良いなぁと思うようなこと」
ばかりを、強調的に表現して
「きずな」とか「愛」に あふれたモノを作れば
受け手は感動しつつ、それを受け取るだろうし
逆に、憎悪や殺人に発展するようなストーリーを
作れば、その「嫌な側面」のほうを
「思い知らせる」ことができるだろう.
どちらにせよ、作者が思うような
「極度に偏った印象」を持たせるほどの説得力を
コンテンツに込めることってできるはず
面白がれる中身
別に、たいそうなコンテンツでは無くても
…単なる言葉だけであったとしても
同じ 趣旨のことを言うために
「もうちょっと、面白い言い方」って
できるはず.
意外な比喩や、言い回しを工夫したり
詩的なイメージにしてみたり、
駄洒落を使ってみたり…
「同じことの、違う 表現の仕方」って
無限に考えることができるはず.
クリエイターであれば、
言いたいことは同じでも
できるだけ、それを「面白がれるように」言う
ことを考えるというもの.
「友情」を言いたいがために、
SFやファンタジーや、災害やホラーみたいな
非日常な世界観を持ち出したっていいし
…というか、面白がれなかったら
いかに立派な主張だろうが、作品の意味が無い
無意味でも
もっと言えば…娯楽のコンテンツに
「主張、教訓、効能」などは
そもそも必要ですら無い
たとえば、音楽なども
とりたてて「意味や主張」を込めなくても
聴いていてい「いい感じ」になれるのならば
それは 無意味だろうが、価値はあると言える
娯楽の品に、直接的な効能や
意味 (何のためにあるのか?)といったものを
込める必要はなくて
…まぁ、あるとすればそれは
「見たくなるから」…くらいのものかも
さきほど「人をひきつけるパワーが違う」と
言ったけれども…
そもそもコンテンツって
「人を ひきつけるためにある」のだし、
人を ひきつけなかったら
それは、コンテンツとして失格なわけで