2012年05月20日

リアクション

反応=人


その人が「どんな人なのか」というのは
その人が「どんな反応をするのか」で
イメージされるものだろう.

ある出来事に,どう対処するか
ある発言に,どう返すか,
…の「特性」こそ,「人の個性」である.

別な言い方をするならば
人って「フィルタ」のようなものであり,
人の興味深さって
インプットに対して,
どんなアウトプットを返すか
の評価のことだと言える.

会話


たとえば,雑談の際に「無反応」だったり,
「ありきたりなこと」しか言わない人は
つまらない人だと思われがちだ.

逆に,たいした中身など無くても
「大げさ」に 感心,反応する人は
とりあえず 存在感は確保される.
(好感となるかどうかは内容次第だが)

特に 何かを見て,何かを聞いて,知って…
「意外性ある,コメント」を言ったり
「予想外のアイデア」を発したり
「行動」につながるような人って
クリエイターとしても 素質があると思える


「リアクション芸人」という言葉があるが

たしかに,TV番組では リアクションこそが,
「そのタレントが出演する意味」であり
タレントの「芸」のひとつではある.

いきなりツッコミを入れられた際に
「いい反応,面白い反応やコメント」をする人が
番組の価値を創り,当人の価値も上げるだろう

センス


ただし,「いいリアクション」とは
「大げさ,大騒ぎ」というのとは違う.

単なる「大騒ぎ」に過ぎないリアクションって
ただうるさく,嫌悪感につながることも多い.
TV番組でも「ツッコミ合戦」が行われているのに
全然面白く無いようなモノを見ることもある.

逆に,「大騒ぎ」ひとつにしても
センスのいいタレントであれば
大いにウケる上に,好感まで持たれる.

つまり,微妙な言葉や態度の違いひとつで
その反応は,結構違うものになる

何をやっても「憎めない」雰囲気にできたり
場に合わせて,場を盛り上げることができるのも
当人の高度な才能やセンスあってこそだ

わざとらしさ


全く同じ,面白いリアクションも
「狙ってやってる感じ,わざとらしさ」があると
全く興ざめであるものだ.

まれに「素の反応」が面白いような
天然な人というのもいるとは思うが

多くの芸人は 普段から ネタをメモするなどの
研究や練習を,しているだろうから

「わざとらしさ」が出ないような意識も
結構 重要に違い無い.

ミス


時に,やってることが
「成功するか,正しいか」よりも
「いいリアクションかどうか」のほうが
大事なんてこともある.

クイズ番組に出演している芸人などは
わざと「失敗」してまでウケを狙う.

視聴者は「誰が,どれだけ正解したか」よりも
「番組や芸人の面白さ」を見たくて
番組を見ているのだから,これは正しい.

あなたのステージ


あなたがステージに立って
何らかの「芸や演奏」をする際にも

ミスは「動揺」を招き,
芸の質を落とす要因にもなりうる一方

「ミスしたら,どうするか」をあらかじめ
想定し,決めておけば
ミスや失敗をネタに,評判をとることさえ
できるかも知れないし,
「動揺」も,最小限に抑えることができる



ミスした際に,どんなリアクションをすると
「ウケがいい」と思うか?とか

もし,観客に応援や冷やかしの声をかけられたら
どんなリアクションをするのがいいと思う?
…などと,いくつか想定しておいたらいい.

考えてみよう


さきほども ちょっと書いたが
「演技」よりは「素」のリアクションが
(他人から見て) 面白い,興味深い
…という人こそ,「魅力的」ではあろう.

そのような(天然で面白い)人に
「近づこう,なろう」と思ったら
なれるものだろうか?

その際,何を目指し,頑張ったらいいと思う?

2012年05月19日

優れた目

面接官


ベテランの審査員や,面接官などは
多くの「志望者,志願者」の中から
見込みのある人材を 選び抜くことができる.

この場合の「見抜く能力」とは
具体的には 何のことだろうか?
…と
ちょっと考えてみると

それは,人の
「良く見せようという心(演技や誇張)」や
「その人の隠している欠点」を見抜いて

それらの「ごまかし」を排除した
「実際はどうなのか(その人の素,本性)」を
推測できる能力…ということになるだろう.

本人にも見えないモノ


優れた指導者は,時に
本人にも,意識されていないような
その人の「隠れた才能」を見出して
引き出すことさえできる.

あるいは,まだ能力にもなっていないような
「見込みがありそうなポイント」
その人の「向き,不向き」を見越した
アドバイスができる.

ここまで人が見える人って,スゴいなと思う.

優れた目


ここまでをまとめてみる.

「見る目に優れた人」は,
「一見、(表面的には) 良さそうに見えるが
実は、そうでもないモノ」が,分かるし,

逆に,パッと見は「地味,冴え無い,
平凡そう,目立たない」と思えるモノの
「本当のスゴさ」を 見出すことができる.

あるいは
「ごまかし,演出,誇張」があっても,
それだと悟ることができて
それらに 惑わされない視点を持っている.

「優れた目」を持っている人とは
「表面的」な見かけと「実際」の違いが分かる
人のことを言うだろう.

総合的な視点


また,優れた目を持つ人は
冷静で,総合的に モノゴトを見て判断できる.

たとえば,「部分的,局所的」には
「感動的」なほど,良い部分があっても
それに「揺らされる,惑わされる」こと無く

「地味だが効果的なモノ」にも
しっかりと目を向けることができて,

「全体としてみたらどうなのか?」で
総合評価をつけることができる.

違和感


そして,「ごまかし,演出,誇張」などに
惑わされない…というのは

細部まで丹念に見て
「何事も疑ってかかっている」のでは無くて

ベテランには,それらが 瞬間的に
「違和感」として無意識ながらに「ひっかかる」
のだろうと思える.

それは「行動や心がけ」では無く
「違和感だと感じられる」という
その人のセンス
によるとことが大きい.

瞬時に分かるセンス


ゲーマーが「良ゲー」か「クソゲー」かを
判別する時だって,そうでしょ?

それが「クソゲー」かどうか…って
電源を入れて,冒頭を遊んでみただけで分かり
全体を詳細に,疑いの目で見て
考えてつけるような「評価」では無い.

そんな「センス」を持つことこそ
「目の良さ」につながるものだろう.

そしてもちろん,センスも磨くことができる.

「感覚」が評価


「良し悪し」って 結局のところは
瞬間的に見た「感じ」で,ほぼ決まる.

受け手のセンスで「良さそう」に見えたモノは
じっくりと,その良さが鑑賞され,

怪しいと感じられたモノは
「疑いの目」で,問題点が捜索される.

論理的に語られる評価も,
瞬間的な印象に左右されてから
「根拠探し」が始まるものだ

あとがき


クリエイターには
「優れた目」が必要なものだ.

ここの読者であれば
「良い目を持ちたい」と思っている人が
ほとんどだろう.

でも,
「優れた目」って具体的には,
どのようなモノのことを言うんだろうか?
と考えたことも無かったら
それを鍛えることも無理だろう.

…そう思って,今日は
「目の良さとは何か?」について
ちょっと考えてみた.

2012年05月18日

目的と相手の決まりかた

ターゲット


モノを作る際に、
「どういう人のために」「誰に向けて」
それを作るか?…という

「ターゲット」について、意識することは
作る上で 非常に重要だ.

自動的な判断


何故ならば…

作っていく上での あらゆる判断は
「どんな人のための品か」を考えるだけで
ほとんど自動的に 決まってくるので
「迷い」は、激減するし、

作品の全要素が、そのような
「自動的な判断」で決まった品って

つまりは
「全ての要素が ひとつの方針で出来ている」
ことになるので、一貫性が感じられるものに
自然となるからだ.

何のための品か?


一方、モノを作る以上は、

「何のための品か?」…という、
その品の「意味、効用、効果、目的」
作者の頭の中には、当然あるに違いない.



冒頭に述べた「ターゲットの意識」には
希薄な人…というのは、いるかも知れないけれど

「何のための品か」を決めずに作るような人って
滅多にいないと思う(んだけど).

目的=相手


でも、よく考えてみると…
「ターゲットを決めること」は、
「目的を決めること」と同じことだ

「誰に向けて、これを提案するのか?」って
「何を提案するのか?」…と同じことだ
…というのは言い過ぎかも知れなくても
全く切り離すことは できないだろう.

だから、これらは同時に決まるものだ.

たとえば、目的を決めてから、
「ターゲットを、より詳細に絞り込む」ならば
同時に、目的のほうも 微調整されるはずでは?

明確な品


当然、
「目的が明確な品」であればあるほど

「どんな人向けの品なのか(ターゲット)」も
誰もが、見た瞬間に イメージできるだろう

たとえば、
「ターゲット外の人」にも
「これは オレ向けの品じゃ無いな」と、
すぐに分かってもらえる.

「自分が対象外だと すぐに分かること」も
品の「親切」であり「配慮」…にもなる.

そして、その「分かりやすさ」があるからこそ
それを嫌う人や 対象外な人にも
その品の「意味や目的」は 理解される.

存在感


そして、そのような
「明確で軸を感じる品」って

たとえ対象外、興味の外の人にも
「品質の高さ」は 伝わるものだ.

「自分は、これに用は無い」と思っている人にも
「その存在意義の高さ」は 理解され、
「品質の高さ」や「存在感」を感じてもらえる

「ターゲット外も含めた、全ての人」に
その意味が通じるからこそ
対象外の人は、単に去っていくのでは無くて
「品質の良さや存在感は感じつつ」去っていく.

関連記事


「ターゲット外」 〜 2010年 9月21日
「世界にひきこむ」 〜 2009年 9月24日

2012年05月17日

一過性

影響の無いモノ


我々が日頃みている、モノや情報の多くは

とりたてて何とも思われないか
多少の気はひいても、すぐに忘れ去られ、

その後の自分の考えや行動に
何の変化(影響)も与えない…と思える.

もちろん、多くのモノには
「人に影響を与える意図」など
最初から無いのだから、それでいい.

意味の無いモノ


しかし、人に影響を与える意図をもって
企画や製作された 製品や作品、
宣伝やアピールなどであったら

見る人に、何とも思われず、
心にも残らず、思い出されることも無く、
その後の意識にさえ、何の影響も与いならば

品や企画の「存在意義」が問われる.

自己満足


「見た人が、何とも思わない品」って
「影響がどこにも及ばない品」ということであり

受け手にとっての存在意義は
限りなく ゼロに近い(ムダな)モノだと言える.



それでも、作り手にとっては
大きな意義を残すかも知れない.

だって、苦労して、企画&製作し、体験を増やし
技術は向上し、達成感も得られるのだから.

しかし、それで「得るモノや影響」があるのは
「作った本人だけ」ではある.

「自己満足」とは、まさにこのことだ.

一過性のモノ


実際、多くの作品や 発言や アピールは
目的を 充分に果たせているとは言い難い.

その場では、思うことや考えることが
多少は、あって
見る人に、一定の影響は与えたとしても、

…でも、
次の何かを見るなり、すぐに忘れ去られ、
二度と思い出されることも無い

まぁ、思いがけないものが
ある時、何かのきっかけで思い出される可能性は
ゼロでは無いとは思うけれども.

それでも、普通に考えたら
それら「一過性に過ぎなかった」品って
「失敗」に近いモノではある. (厳しい話だ)

続く


「一過性で終わらないモノ」とは

「シリーズ」になったり、
関連商品や、影響された人の意見が出回ったり
それに影響されての「考え」や「行動」が
続くようなモノのことを言うだろう.

クリエイターであれば、もちろん
そのような「続くモノ、残るモノ」を
狙って作らなければ、意味が無い(でしょ?)

今日、言いたいことは…
品や企画を作るにあたって

「続くこと」「何につながっていくか」
「どのように、残るか」ということを
意識もせずに作るなんてことは
ありえないだろう
ということ.

大げさに言うならば…
あなたが作ろうとしている世界は
広がらなければならない

…くらいの意識を持ちたいものだ.

自分の作る、その品や企画やアピールは
その後、どういう展開になっていくものの
「きっかけ」として機能するんだろうか?


「モノ」が無くなっても…


ある本を読んだ影響で
「心がけ」や「習慣」が根付いたら、

たとえ、その影響元の 本の内容や、
読んだこと自体が忘れられたとしても
本の存在意義は 大きかったということになる.

時に、本が提案している 良い習慣が
「直接 その本を 買ってない、読んでない人」
にまで (間接的に) 影響する…なんてこともある

そのような「影響元」を作りたいものだ.

あとがき


ちょっとした特徴があって、目だって
人の興味をひいて「売れた」コンテンツにも

後に、何の想像や連想も起きず、
見た人の中で、世界が広がることがなかったら
「一発ヒットして、それで終わり」となる.

そのような「売れても、続くモノが無い」ような
ヒットしても「一過性」で終わってしまう
企画や品というのも、普通によくみかける.

「売れること」だけを目的にすると、
たしかに売れは するだろうが、

「続き」を考えていなかったら
自然と、その世界が広がることも まず無い

2012年05月16日

弾きかた

まえがき


楽器を演奏すると、音と一緒に
「演奏っぷり、弾きかた」の雰囲気も発せられて

それは、
奏者が どの程度意識しているかに関係なく
観客に 一定のイメージを与えることになる.

…今日は、これについて.

やってみよう


楽器を演奏する時、
わざと「弾きかた」を変えてみよう.

たとえば、わざと いつもよりも
「ワイルドな演奏っぷり」で弾くとか
あるいは
「丁寧に弾いてるっぽく」
「教本などの お手本みたいな雰囲気で」
「感情表現を わざと誇張して」
「感情を抑えて、冷静沈着に」
「うれしそうな顔(表情)で」
「異常なほど、正しい姿勢で」
「まるでロボットみたいに」
「知的な印象を与えるような弾き方」
「エラそうに」「恐縮してる感じで」

あるいは、
有名な奏者の「モノマネ」をしてみるとか.

「弾きかたのネタ」も創造性の一部
ではあるので、他にも、自分で考案してみよう

考えてみよう


いろんな「弾きかた」を試してみたら
…それについて 考えてみよう.

それは、見る人(観客)に
どんな影響を与えそうだろうか?

それは、弾いている自分に
どんな影響を与えそうだろうか?

それは、「音、音色、音楽」に
どんな影響を与えそうだろうか?

それらの「影響」の大きさは?

それとも「何も違わない」?

研究課題


このように、わざと「弾きかた」を意識しながら
弾いてみることで「気がつけたこと」や
「得るモノ」って、きっとあったはずだ.

「弾きかた」や「姿勢」って
疲れやすさや、気遣いにも影響するし、
演奏の精度や 弾きやすさも変えてしまう.

だから、奏者にとって「弾きかた」って
実用にもなる、深い研究課題であるはずだ

「弾きかた」の利用


「いつも、同じ風に弾いているだけ」って
練習していても、つまらないものだし
観客を楽しませる意識にも欠けている.

人の前に立って演奏するならば
「弾き方」も「見世物」であり、
奏者が 観客に提供する価値のひとつ
…ということは、もっと意識されるべきだ

あるいは
演奏中の視線は、どこを向いていたら
カッコイイか?…みたいなところまで
あらかじめ考えておくことはできて、
「ファッション」以上に
その雰囲気は、影響を与えるはずだ.

人の前で 演奏しない場合だって
「弾きかたや姿勢」が「音色、聞こえ方」に
影響する部分は あるのだから、無視はできまい

グレードアップ


ここまでの話を読んで
「既に練習済みで、充分に上手く弾ける曲」にも
「さらに練習や研究すべき余地」は、
まだ沢山あるのだ
ということに
気がついてもらえれば、と思う.

今まで 無意識に発せられていた「弾き方」も
改善や改良の意識を持つようになれば、

「芸」は、今以上に
グレードアップのネタを増やした
…ということになろう.

戦略


「弾きかた」という雰囲気の提供も、
「芸のひとつ」だという意識があれば

曲ごとに、どんな弾きかたでいくか…とか、

ひとつの曲の中でも、その展開にあわせて
弾きかたに変化をつけるように考えたり

あるいは、その場の観客や雰囲気に
あわせて、最も適切で楽しめるような弾きかたを

細やかに、そして、大胆に
変えていくこともできるようになるだろう.

あとがき


楽器を演奏することに 全く縁が無い人は
今日の「演奏、弾き方」というのを

「仕事っぷり」などの単語に置き換えて
読んでみてもいいかも