2017年03月28日

感度じゃない

揺らされない


自分が充分に思考や活動をする上で、

周囲の様々なことに
「揺らされないように」できることは
大事だと思う.



実際、今の世の中、
ネット上やメディアを見ても、街を見渡しても
様々な「ネタ、話題、情報や広告」があって
見る人の「気を奪おう」としている.

揺らされやすい人


「揺らされやすい人」って

ちょっとエラそうな(権威ある)人が
「これを読むといいですよ!」と言えば
すぐに その本を買って読み、

有名タレントがおすすめする品を買い、

誰もがふりむく情報に自分もふりむき
いちいち「気が散る」ことが多い

ネット上の「炎上ネタ」に
他の人たちと同じような感想を持って
同じような反応をする.

それらは「している」のでは無くて
「させられている」というほうが正確か.

つまり「揺らされている人」って
「何かに 支配されてる人」だと言える
そのような人は「自分」とか「個性」
などからは、遠い世界にいると私は思う

無視の力


だからか…以前から
「スルー力」とか「鈍感力」などの
言葉があって、
そういう本も出ているようだ
(私は 読んだことは無いが)

それらは…外部からの刺激を
無視したり、感度を下げたりする
心がけを言っているのだろう.

…でも、個人的には
そういう「見ないようにする」方針って
間違いだと思う

動じない


つまり、私が言いたいのは
「揺らされないように」するとは

無視したり、鈍感になることでは無くて

しっかりとそれを見たとしても
それに「揺らされすぎない」心がけ
のことを言うだろう
ということ

「揺らされない、動じない」人というのは
それを 見ないようにしているわけじゃない
それに「鈍感」というわけでもない

それらに接触しても
過度に 感動したり、怒ったり、怖がったり
振り回されたり、強迫観念に駆られるなど
…の反応を「し過ぎない」人のことを言う.

敏感でOK


…というか、人は、あらゆることに
「敏感」でいて、全然OK.
むしろ 敏感でいるべきであるとさえ思う.

センスが高いことは、何も悪くない.

悪いのは、それらの情報に
過度に心を揺らし、気が散ったり、
余計なことを始めたり
いらない心配や、購買をしてしまうことのほう

「無用な反応」は、害だが
「感じる能力」は、あっていい

適切な反応のために


勘違いしないで欲しいのは
「反応しないのが良い」ということでは無い

当たり前のことではあるが…
必要なら、適切に反応しないといけない.

そのためにも「鈍感」などでは困る.

間違っているのは、
情報にふりまわされて、極度に
怖がったりしていても
何がどうなるものでも無い.
それよりは、冷静でいられるほうが大事である

まぁ、本能的に怖いモノには
誰だって反応してしまうものではあるが
その「理屈」を分かっていたら
「過度」というほどの反応はしなくても済むはず

つまり、揺らされ過ぎないために必要なのは
「世の中の 様々な仕組みの理解」である

本能の反応


たとえば…「小腹がすいた」程度の空腹は

別に、ただちに対処しなくても何の問題も無い.
ただちに死ぬわけでは無いし、
次の通常の食事の時間まで待っても
何の問題も起こらない.

このことを しっかりと理解できていたら
小腹が空いたくらいで、揺らされずに済む

あとがき


感動とかに「揺らされ過ぎちゃう人」にも

「もう少し、冷静に見れたほうが
良いモノを得るはずなのに」と、よく思う

2017年03月27日

変化率

激しさ


「激しさ」は「静けさの直後」にこそ
強く感じられる

あるいは、「最大レベル」は同程度であっても
「大小の揺れ幅」が大きな「揺れ」のほうが
大きな激しさとして感じられる.

つまり「激しさ」を強く感じさせたかったら
「激しくない箇所」を適度に設ける必要がある



「対比」などのテクニックも

「正反対」や「全く無い」箇所との
「落差、ギャップ」によって
見る人に 強く印象づけることを目指している

ずっと同じ


その逆に…もし「ずっと同じ」だったら

いかに、それが激しくても
人の感覚は「慣れて」しまって
激しさに「麻痺」してしまい、
それは、あまり実感されないものだ



たとえば…爆音の中でも
人って、眠ることが出来る.

つまり、いくらうるさくても
ずっとうるさい音が続くのであれば
気にならなくなってくるということ

変化率


今日、言いたいことは
人の 感情や、意識を「動かす」のは

レベルの「高さ」によって、では無くて
「変化率、変動」によってである
ということ.

つまり、人って
「程度の高さに」…というよりは、
何かが、大きく
「変わった瞬間」にだけ反応する

悪人、善人


たとえば、映画などでよくある展開として

今まで、ずっと「悪人」だった人が
ストーリーの終盤で 改心して
「いいこと」をする…なんて展開に
観客は、感動を覚える.

たとえ、その「いいこと」の程度が
些細なモノであったとしても

ずっと、普通に いいことばかりする人が
同じことをするよりも
「振れ幅」が 大きいから、
そこに 意外性を感じて、注目し
「何かを見た感じ」を しっかりと覚える

見せ方


このことは、ストーリーに限らず、

モノ作りにおいては、
あらゆる「モノの見せ方」が重要である

まぁ、どんな分野でも、
一定以上の「レベルの高さ」は必要ではあるが

それ以上に
「見せ方、使い方」によって
そのレベルの「イメージ」は
ずいぶんと違ってくるのだということ

変わらなきゃ!


やたら「変わらなきゃ!」と言って
まるで「変化」こそが
人の「成長や進歩」であるかのように
勘違いしている人は、多いように見えるけれど

これも、「変化」があることで
実際以上に「何かした感じ、充実感」を
当人が覚えるからである.

つまり「いろいろと新しいこと」を
しまくって、変化が多いと、感情も動き、
その都度「たいしたことをした気分」になれて

まるで自分が成長していっているかのように
錯覚できる…ということ.



でも、それは錯覚だし、
充実感が味わえるのは
変えた「瞬間だけ」だ.

このような「感情に支配されてる人」は
常に変化し続けていないと、不安になるのだろう

だから、次々と新しい変化を求め続け…
結局、何もレベルアップはしないまま
「退屈はしない一生」を終えるのだ

その人は、実際の「成長」よりも
ウソでもいいから「成長した実感」のほうを
重視している…というように、私からは見える

変化の信者


教材や啓発本、セミナーなどでも
よく「変わらなきゃ!」というような
宣伝文句を言っているけれど…

これも、「変化」を感じさせたほうが
受講者や読者に、手っ取り早く
「成長した感じ、充実感」を与えることが
できるからだ.



でも、本当は、そんな「(成長の)感じ」
なんてのは、たいして重要では無いはず

だって、欲しいのは
「レベルアップした実感」では無くて
「実際にレベルアップすること」では?

…そして、本物のレベルアップのためには
「変化」なんて 考えずに
「一つのことを、コツコツと続ける」
ほうが、はるかに近道であることは
言うまでも無い

あとがき


教材やすることを変えても、
変わるのは 気分だけ.

逆に、何も変えないことが
その人自身の変化につながる

2017年03月26日

失敗を願う人

目につく欠点


「上司や先輩が、新入社員や後輩を見る」時や
「大人が、子供を見る」時、
「教師が生徒を見る」時など…

自分よりもレベルが(まだ)低い立場の
人や、人がすることを見ると
「欠点、拙いところ、配慮不足、見落とし」
などが目につくものではある

あまりにもモタモタやっていて
イライラする…なんてことだってありうる

まぁ、相手は初心者なのだから仕方ない

自分だって、そのような頃はあったわけだし

欠点の指摘


そんな時…「指導」の意識に欠けている人は

イライラしていることもあって
つい「相手の 欠点の指摘」をしてしまう.

時に、叱り口調や、怒り口調、嘆き調子で
「そんなのじゃ、ダメだろ…」というように



…で、そんな言い方をされて
気分が良くなる人は、誰もいない

言ってるほうも、言われた方も.

そして、その場自体が居心地の悪いモノになり
勉強や修行は、必要以上に
「嫌な感じ、辛い感じ」になってしまう.

誰だって、そんな険悪な雰囲気の中で
実力を伸ばすのは、難しいと分かるはず

良くする人


一方、優れた指導者は

欠点を指摘するのでは無くて
「こういう風にも、考えてみたら?」とか
「こうすると、もっと良くなるんじゃないの?」
という風なアドバイスをする.

初心者が見落としがちなポイントや
考えが浅い所を
「お得情報」の形で、提供してあげる

相手は、初心者なのだから
ベテランから見たら
そうした箇所は、いくらでもあるはず.

生徒のほうは、その
「お得情報、アドバイス」を沢山もらうことを
ありがたく感じ、

「よし、次は、もっと上手くできそうだ」
という実感を持つことになり、
意欲も高まる

指導者は、このようにあるべきだと思う

失敗を願う人


今日、強く言いたいこと
欠点の指摘ばかりする人は、
その人の失敗を願っている人.

欠点にフォーカスさせる人は、
人を、欠点や失敗の方向に導いている.

たとえそれが「〜するな!」「〜はダメだ」
などの否定形であっても
それを聴いて 人がイメージするのは
その「ダメなこと」であるから.

その人は、まぁ
「自分がダメである」ことを
しっかりと認識するだけで、
「良い展望」は 持ちにくいどころか
まず、イメージするのは
指摘にある「悪いところ」だから

そんな「人の失敗をイメージさせる」ような
指導者についていて
気持ちよく、自分を伸ばせるわけが無い

成功に導く人


そうではなくて…指導者というのは
人を「成功に導く」人のことを言う.

ちょっとしたヒントでもいいから
「もっと、こういう可能性もあるのでは?」
…というように

「どうすれば良くなるか」を願うような言葉を
投げかけることで、人は良い展望を抱ける

それを持たせてあげられるのが
指導者というものである

アドバイス


このことは、
「欠点を指摘することで、
人は、いい気持ちになれるだろうか?」と
ちょっとでも考えてみれば、分かるはず

そして、たいていの「欠点の指摘」は、
言い方を 工夫する意識さえあれば
「お得情報」の形で
言うことができるのだ.

「斬り捨て」みたいにしか言えないのであれば
発想力が貧しすぎる
…というか、そんな「人を潰す人」に
指導者の資格など無い.

あとがき


以上のことを理解したら…

自分が生徒の側であっても
「自分を潰すような教師や上司」を
見分けることができるようになるはず.

そして実は、上達への道って、
まず「自分を潰すような教師から
離れること」で、手に入れることができる
posted by qzb02432 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育

2017年03月25日

活かし方

スゴくは無い


会社などの組織で
「何で、こんな、たいしてスゴくも無い人が
こんな高い役職に就いているのか」…と
思う(思われてる)ことって、わりとよくある

…というか、大臣とか、大会社の社長なども
別に「誰にもできないような特別スゴいワザ」を
持っているようには見えないわけで、

「何が スゴくて、そんなにエライんだろ?」
…と思う人がいても 不思議では無い.

人気者


TVで ひっぱりだこの人気タレントや、
集団で、笑いをとってるような人気者も

特別スゴい芸が出来るわけでも、
爆笑のネタを連発…というほどでも無くて
「ちょっとばかり面白い」程度の
人であることが、ほとんどだ.

常に人に囲まれているような人気者は
さほど「芸やネタ」に たよってはいない.

…というか、誰もがスゴいと思えるほどの
芸や、爆笑のネタなんてあっても
「それだけ、その時だけ」で
終わってしまうことが多いわけで

使い方


多分、そのような「要領の良い人」って
状況や、相手を見計らって、
いいタイミングで、気のきいたことを言える
からこそ、ウケが良い

個々の能力や芸、ネタの「スゴさ」は
「ちょっと面白い程度のこと」ではあっても

「こんな状況で、こんなことを言える」
「こんなことを、こんな風に言える」
…という

「出し方」「言い方」が、絶妙
だからこそ、面白いと評価されている



組織で 出世するような人の多くも

自分の能力や特徴を「何に使うのか」
「どんな風に使うのか、魅せるのか」が
絶妙だからこそ、

その中身(芸や能力)のレベルは そこそこでも
「いい使い方、いい出し方」として評価される

つまり…中身のレベルよりも
「活かし方」が上手い
のだ.

活かし上手


あらゆる分野でも…
「芸やワザのレベルが高いこと」以上に
「芸やワザを、上手く活かせる」ということが
重要
だと言える.

…というか、
活かすのが上手い人は、
芸やワザなんて、全く無くてもかまわない

たとえば、「聖徳太子が法隆寺を建てた」と
いうのは、歴史的な偉業として評価されているが
聖徳太子は、建築の技術なんて持っていない.

自分は、構想し、決断しただけで、
実施は、高い技術を持つ人(設計士や大工さん)に
任せたわけだ.

それでも、建てたのは
「こういう建築物が必要だ」と感じて
その建設を決めた政治家の偉業ということになる

このように、能力や技術というのは
高いレベルのものを持つこと以上に
「それを 何に、どう使うか」を
考え、決めることが、評価される

作らないクリエイター


音楽の世界でも…たとえば
「指揮者」は、何の楽器も持たず、
音も一切、出さないけれど

オーケストラの各演奏家たちに
「もっとどんな風に弾くべきか」を指示して
その高い演奏能力を
「どんな風に 活かすか」を考える
役目だからこそ、代表者として名が出る.



コンテンツにおける
ディレクターやプロデューサーなどの役も、
「どういうものをつくるべきか」や
「これを、すべきかどうか」
「どこに注力すべきか」を決断する役であって

具体的に手を動かして
モノを作るわけでは無いけれど
それこそが、最重要の役であるからこそ
クリエイターとして、知られるわけだ

クリエイターの売り物


このことは、各 クリエイターたちも
強く意識すべきであると私は思う.

つまり…まぁ、もちろん 自分の持つワザや
長所の「質の向上」も大事ではあるが

それと同時に…いや、それ以上に
その「スゴいだろうワザ」を
「どう、使うか」
「どんな風に魅せるか」ということを
考えることが、評価につながる



そういう発想を持たない人は、
いかに芸のレベルは高くても
「高いだけ」で終わる可能性もある

そして…
「コレ(オレ)の良さが分からないなんて…」
などと、大衆を批判するような
勘違いの意識を持つことすら、ありうる

でも本当は、ワザのレベルよりも
その「活かし方」に注力するほうが
ずっと大事なのではないのか

あとがき


芸やワザのレベルを高めることよりも

それの「使いみち、活かし方、見せ方」を
考えるほうが
いかにもクリエイター的であるということ

2017年03月24日

自分なりの評価基準

楽器


たとえば、今、私は
楽器のキーボードが欲しいと思っているのだが

「どんなやつが欲しいか」の
選択基準は、色々とある.

たとえば、重めで、支点の遠い、
奥行きの長い鍵盤. できれば木製…とか
他にも、希望するメーカーやブランド、
手触りや、大きさ、形、重量などについても
「こういうのがいいなぁ」という基準はある

だから…カタログなどを見れば
世の中には、実に多くの製品があるのに
ほとんどの製品は
「見た途端に候補で無いと分かる」わけで、

私の 購入候補になるキーボードは
2〜3機種しか無い.

基準の無い人


一方、たとえば学生などで
「バンドでもやってみるか」くらいに
思ってるような初心者だったら…

そもそも「どういうのが、どんな感じか」も
さほど知らないだろうから
「こだわり」の 持ちようも無いので

選ぶ基準って、「デザイン」や「価格帯」
くらいしか無いかも知れない.

そのような人は、他の要素は
「どんなのでもOK」だからこそ、
「どの機種にしたらいいのか」の
選択肢も、膨大に残ったままだ.

その上、選ぶ基準が無いので、
その「膨大な選択肢から、何かを選ぶ」のも
困難を極める.

まぁ実際は、何のこだわりも無いからこそ
「一番安いやつ」や「手に入れやすい人気機種」
を、とりあえず買うのだとは思うが

腕時計


別な例.

たとえば「腕時計」とか「靴」などを
買いたいという場合

「自分なりのファッション」を
決めていたり、既に固めている人は

「白い靴以外は、絶対にありえない!」だとか
「アナログ表示で、スッキリした盤面の」などと
「どんなのが欲しいのか」は
モノを見る前から、かなり決めているものだ

だから「決めてる人」であればあるほど
店やネットで 商品のラインナップを見ても
「欲しい商品が、一つも無い!」
なんてことにもなる.

つまり、
すごく靴が欲しいのに、自分が欲しい靴は無い
みたいな感じ.

そのような人は
いかに、一流ブランドの、高品質な靴が
お買い得価格で 目の前にあろうが
それは 眼中に入ることも無いし

世間的な売れ行きや評価ランキングが
どの程度だろうが、店員のオススメだろうが
…そんな情報に揺らされることも無い.

基準の無い人


一方、「こだわりや基準が無い人」は

「とりあえず、高品質なモノが安ければ買う」
というように なりがちだからこそ

自分が買うモノ(選ぶこと、決断)に
「一貫性」が無い.

そのような人の「持ち物」って、
持っているモノ同士に調和が無く、
「雑多な感じ」となる.

そんなだから…当然、
「その人に基準や方針が無いこと」は
見た目にも明らかとなる.



当然 そういう人って
色々、高級品ばかりを身につけてはいたとしても
「何だとも思われない」ものである.

…というか、お金があればあるほど
「一番人気、一番良いとされてるヤツ」で
固めるだろうから、一貫性の無い結果となる

何でもいい


つまり
自分自身が、何についても
何だとも思っていないならば

その人自身も、
誰からも、何かだと思われることも無い
のだということ

そして、そのような人は
何か モノを創りたくなることも無い.

何故ならば
「とりあえず、そこにあるようなモノがあれば
何でもいい」わけだから.



だから…たとえ、あなたから見たら
「悪趣味」のように見えたとしても

それなりに「方針」があるような人は

結構なクリエイターの資質を持っているはず

あとがき


厳しい基準を持っているほうが
選択や決断は「ラク」である.

逆に言えば、「決断力が無い」人って
能力や情報力の問題では無くて
「自分を持ってないこと」が最大の原因である