2017年06月26日

100%から

ゼロから


どんなモノ作りも「ゼロから」作るわけでは無い

いかに斬新で、独自性のあるモノも
そのほとんどの部分は
既存の材料や理屈によって、つくられている

本当の意味で、自分が「創ってる」部分なんて
「ほんのちょっと」ではある.

付加価値


むしろ、モノづくりに込める
クリエイティブな部分って
「付加価値」のようなもので

まずは、当たり前の品があって、

そこに「他との違い、独自性」や
「斬新さ、意外性」を仕込むと

普通の品よりも、ちょっとだけ価値の
高い品に仕上がる…というイメージが
妥当なのかもしれない.

言ってみれば
「ゼロから」ではなくて
「100%の状態」に、
少し、自分の創造を「加える」という感じか

突然消えても


ちょっと 話は飛ぶけれど…

たとえば、私が書いてきている このブログ.
既に、かなりの分量になっているけれど

もし、このブログとその記事(データ)が
何かの事情で、今、突然全部消えたとしても
私は、わりと平気で 今日の記事を書くと思う

まぁ、沢山創ってきたものが消えるのは
何だか、大量のモノが失われたかのように
感じる人も、多いとは思うけれど

私の感覚としては、単に
書き始めた日に「戻るだけ」って思う.

単なる付加価値


そもそも、このブログは別に私に
「必要なモノ」というわけでも無かった.
「やってみたら、付加価値になるかな」と
思うから、始めたわけで.

言ってみれば、私は最初から「100%の自分」
のイメージが、まずあって、ここに、少しづつ
「付加価値をつけていく」気分で
これを書いてる.

それを全て突然失っても、100%に戻るだけで
私は、実際にも、別に何が困るわけでも無い.
…というか
データが物理的に消滅したとしても
書いたことで得られた洞察などは
私の中に残っているわけで、
どう考えても「得しかしてない」くらいに感じる

消えたデータは、まぁ、またコツコツ書いて
回復させていってもいいし、
いかなくても別にかまわない.
…みたいな感じ.

最初は、100%


似た話だが…たとえば

親しい知人や親密な友人、恋人や家族など…
自分にとって大切な人が
別れたり、去ったり、死んだりするのは
辛く悲しく、淋しいこと…ではあるけれど

その人たちが、いなくなっても
これは「失った」のでは無くて
「出逢う以前の頃に『戻っただけ』」
…という考え方も、できると思う.

自分は、最初から100%の自分であって

周囲の何かが消滅しても
それは「失った」どころか
長年つきあってきたことで、
自分は 大人に成長するほどまでに
大量のモノを得まくってきていた.

つまり
人が、去っても、死んでも、それって
「いろいろくれた人が帰っていった」
ようなものでは?
ないのか.

むしろ、いつまでも もらい続けているばかりな
ほうが「悪いな」とさえ思ってしまう

そんな風に考えることができたら
誰に対しても、感謝しか無い

関わり


そう考えてみれば分かると思うが

どのようなモノだって、
産まれた当初は持っていなかったし、
死ぬときは、持っていけないわけで

「一時的に持つことができた、それ」ではある.

どんな かけがえの無い人だって、

「一時的に関わることができた、その人」だ

それらから、もたらされたのは
元から100%であった自分を
さらに豊かにする「付加価値」でしか無いし

それらが痕跡も含めて全て完全に消えたとしても
自分は 100%に 戻るだけである

あとがき


まぁ、自分が死んだら
それは 普通は「0%」になるはずだが

でも、生きてる時に、多大な付加価値を
つけていた人は、
ちょっとばかりは、何か残ったりする
…とも思う
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2017年06月25日

良いモノと、好きなモノ

完璧な人


たとえば…「人」を例にすると
分かりやすいと思うが

各種の能力が高く、欠点もほぼ無く、
あらゆる面に優れる優等生的な立派な人が
「人気者」になったり、「モテる」とは限らない

もちろん、立派であるほうが
他人が尊敬したり 好感を持たれる可能性は
高いとは思うけれど

人が「好かれるかどうか」は
単純に、その人の能力の高さに比例はしない

…というか、外見的には美人美男子でも無い
能力も、それほどでも無い人であっても
モテてる人は、いくらでもいる一方、
一流の学歴や会社にいても「全然」な人
の話は、実際、珍しくないわけで.

名曲


音楽にもこれは言える.

たとえば、偉人と言えるほどの名作曲家の名曲は
その つくりの「見事さ、完成度、立派さ」は
世界中の多くの人が 認めるところではあるが

…でも、そのような高品質な曲を
誰もが、いつも、聴きまくっているわけでは無い

まぁもちろん、名曲好きな人というのも
いることはいるけれど…
たいていの人は、
「名曲の 良さや凄さ」は、認めていても
普段、聴きまくっているのは
それよりは「スゴくは無い」
アイドルの歌などだったりする



つまり、モノの質としては
間違いなくトップクラスの曲であっても
今、多くの人が聴きたがってるヒット曲には
全く、成り得ない.

「良い曲(名曲)のランキング」と
「好きな曲のランキング」は、全然違うのだ

モノ


「モノや作品全般」でも、全く同じ.

「良いモノを作れば、売れるはず」
というのは、かなりの勘違いである.

ほとんどの人は
良いモノは、たしかに良いものだと認めても
それを「好きになる、欲しくなる」かどうかは
また、全然、別な話となる



もちろん、「高品質であること」は
好きになる理由の ひとつではあろうが、

好きに(欲しく)なる主原因は、他にも色々あって
多くの場合「品そのものの良さ」が
好みに影響する度合いというのは
意外と、そんなに大きくは無いのだ

説明のため


だけど…意外と
自分が感じている「良さ」と「好き」を
混同している人は、多いのかも知れない

たとえば、自分が好きな人や作品について
他人に語る…という場合

「それが いかに 優秀で高品質であるか」を
説明しはじめる人は、結構多いと思う.

つまり、人に説明する段階になると
「良さ」が「好き」の原因であったかのように
錯覚される.
…というか、好きなモノに対しては、
それの「良い箇所」が贔屓目に見られる
ということか.



音楽などでも、自分の好きな曲について語る時
「歌の上手さ」などに言及はするけれど

でもその人は、それよりももっと立派だろう
芸術性の高い作品を愛好しているわけでは無い
…なんてことは、いくらでもある

ランキング


「映画やソフト、本」などの
「ベスト」とか「ランキング」みたいなのを
大衆が投票などで決める企画があったりすると

この「良さ、品質や完成度」という基準と
個人的に「(どの程度)好きか」という基準は
より一層、混同され、どうでもよくなる.

ある人は
「一番好きな作品」を上位に持ってきたがるが
別な人は
「客観的に、完成度が高い、高品質な品」こそ
上位にふさわしいと思う.

でも、どんな人も
「好き」と「高品質」は、一致していない

質の点では、まったく杜撰で穴だらけでも
それを 強烈に愛好する人というのはいるわけで
(逆もまたある)

こういうランキングの企画では
「かみあわない議論」が起きることも珍しく無い

ムリな考え


場合によっては、自分一人の中でさえ
「好きなモノと、品質の良さ」は
一致していないといけないかのように錯覚して

ムリに、品質が高いモノだから
私は、これが好きなはずなのだ…みたいに
思っている人というのも、いるかも知れない

だって実際、先にあげたように
自分の「好き」を説明する際に
「それがいかに良いか」を語る人は
結構いるのだから

「好き」について考える


さらに言えば…プロが作る品というのは
「売れてこそ」な側面が強くあるので

「良い品か」よりも「好かれるか」のほうが
重要な観点であると私は思っている.

でも「良さ」についての
理屈や説明は、そこらにあるのに対して
「好かれること」について、色々と考えている
人や文献は、かなり少なめである.

やはり、多くの人は
「良いモノが好かれるのだ」という
勘違いを、結構持っているのではないのか

そして、だからこそ
「好かれること」について真剣に考えている
人って、少ないのかも…とも思う

2017年06月24日

理由の無い強さ

理屈抜きの面白さ


「理屈抜きに面白い!」という言葉

私は、非常に重視している.

まぁ、面白さに 理屈があろうが、なかろうが
それを楽しむ(だけの)人にとっては
ほとんどどうでもいいことだろうが

作り手(クリエイターの立場)から見たら
面白さには、理屈が感じられない(分からない)
ほうが、断然良いと 強く思う.

今日は、これについて

計画的な制作


普通に モノを作る流れ…って
まずは「こういうのが面白いはずだ」と考えて
原案を思い浮かべて、具体的な設計に入る.
そして、あとは 計画通りに作れば完成.
みたいなものであるはず

特に、大規模な組織で作る
大作のコンテンツだったら
作りながら考えたり、
ある程度つくったものを捨てたりするのは
コストの面でも難しいし、現場も混乱するわけで
ほとんどムリだと思う

だから、最初から完成像ができてるような
計画的な制作しか、ありえないことがほとんど

そういった品に込められる面白さの多くは
「理屈があるモノ」なはず.

だって、大勢で制作をする上では
趣旨や面白さは「説明、説得」できなければ
プロジェクト化が検討される流れにも
ならないし、

制作を担当する人だって、
自分の作るモノの面白さを理解してなかったら
作りにくいものだし

考えながら作る


一方、個人での 小規模な制作であれば
「手を動かしながら考えていく」こともできる.

たとえばこのブログの文章も
書き始めてから、趣旨が決まってくるし、
音楽制作でも、鍵盤を弾きながら
音を増やしていく中で
「面白味」が見つかってくる…という具合.

「あれこれとやる」のは、
たしかにムダを産むけれど

それが小規模な場合、
そして関係者が自分だけならば
たいしたデメリットには ならないわけで

理屈が不明


そして、誰の口出しも受けない制作では

自分さえ「こういうのが面白い」と思えたら
その「面白い理由」は、誰に説明する必要も無く
「面白いと思ったから入れる」で、よくて
「理由は分からないまま」でも かまわない.

そして、それがたまに
世の人々にも 面白い!と賛同されたら
それは、大変に高い価値に なることもある

たとえば、動画サイトで
全くの素人の 作ってみた品やパフォーマンスが
「何故だか、おおウケ!」なんてことが
たまにあるけれど

そういうのの多くは、ウケてる一方で
「何で これが面白いのか、全く分からない」
と言われることも、また多いと思う.

抜群の独自性


そういう「理屈不明な面白さ」って
もちろん、オリジナリティは抜群である

だって、それを作る「理由が無い」のだから
誰も、他に、そんなモノを作ろうとは思わない

つまり、それは 世の中にたった一つの
何故だか作られた品であり、

作ってみたら、何故か 皆が面白いと分かった
…ということだから

「理由が不明な発想」って
オリジナリティは高くて当然なのだ

マネられても…


「理由が不明な発想」というのは、
マネされる心配も、そんなにいらない.

だって、それをマネた品を作っても
その品には、
「それ(オリジナルの品)をマネたくなったから」
という理由しか感じられないから

いかにも「あれのマネ、パクリ」であることが
誰の目にも明らか、バレバレになってしまう.

だから、そもそも 理屈不明な面白さによる品は
似たモノが出回りにくく、
将来に渡っても、唯一無二の存在で
あり続ける可能性も高い

あるいは、似たモノが出回ってみても…
それは「マネたモノ」にしか見えないので
「元祖の面白さが認められた証」というように
みなされるものである

理由が無い強さ


そんな風に考えてみても…
「理由や理屈が無い」って、「強い!」

つくづく思う.

自分も、クリエイターとして
オリジナリティある面白さを品に入れるために

「理屈や理論で計算された面白さ」とか
その面白さの理由や、思想を「言える」
ような面白さを計画して入れることよりも

あれこれとやっているうちに
いつの間にか入ったか、気がついた良さ
を、宝物のように大切にして
これを活かすことを、重視して作る.

特に、スゴいモノを作ろうということになれば
「作っていた自分も意外と思える」くらいの
モノが入っていなければ、話にもならない
…と思う

あとがき


普通に考えたって
「理屈で思いつけそうな程度のモノ」
「予想できる程度のモノ」なんて
たいしたものでは無いではないか

2017年06月23日

武器の弱点

強力な武器


「一世を風靡する」ほどのヒット作や
ブランド、店…などは
それだけの「武器となるモノ」が
あったからこそ、スゴい存在になったはず

あるいは、ある業界で
それなりのポジションを得るためには
各個人は、他人と「差」をつけるための
「武器になるもの」を 身につけて
いなければならないような気はする.

実際「突出している人」って
突出するための、何らかの「武器」が
認められるものではある

武器の分析


だから当然…多くの人は
「売れてるモノの武器は何か?」に関心を持つ

面白い作品を見たら
「そのどこが面白かったのか?」と
分析的に考えることは
実際、かなり勉強になることだし.

本屋に行けば、そうした分析をしたような
「あの店の売れてる秘訣」
「あのヒットの秘密」…みたいな記事や
本が沢山売ってる

そして、多くの人が、それを見習って
自分も 同じような武器を持とうとする

武器だからこそ


しかし…どんな「一世を風靡した存在」も

何年かすれば、ほとんどの場合
下火になったり、廃れたり、潰れたりしていく

もともとは、
「他人と差をつけるための武器」だった特徴は
皆が 分析して、説明されて、マネられて
すぐに威力を失っていく.

つまり…
「それが いかにも武器らしい武器に見える」
「アレが武器なのだなと 分かりやすく分かる」
ことは、
武器を、すぐに 武器でなくしてしまう

たとえ、それが簡単にマネはできなくても
「何が武器なのか」や
その原理を突き止めてしまえば
ライバルたちは、対抗策や、
それを超える策を考えることもできるわけで

武器は、いかにも強力な武器として
見られるほど…その威力は、すぐに無くなる

武器にたよる姿勢


あるいは
「自分(たち)は、これを武器にやってる」
ことが、自覚されると

それに「たよっていく」流れとなって
「武器だけを大事に」考えてしまう
…ということも、あるかも知れない.

たしかに、自分の武器は
最も大切な特徴ではあるが

でも、そのことが
「武器以外の要素を、おそろかにしてしまう」
ことに つながるのならば
それは、自分の基礎力(基本的なところ)を
落としてしまうことに、つながりかねない.

でも、本当に大事なのは
「普通のことが、ちゃんとできていること」

であるはず.

基本が、なっていてこそ、
武器も、威力を発揮するわけで

基本もなってない人に
武器なんて持たせても、危ないだけである

実際、過去に一世を風靡していた存在が
「威力の高い武器」を持っているばかりに
基本が、おろそかに なってしまって
衰退し、潰れちゃった…流れは、あったと思う

まずは基本


同じ話ではあるが…

一流の人の「武器」の解説本などを見て
すぐに マネたがる人も、多いかも知れないが

基本もなってない段階の人が
一流人やヒット作の武器に翻弄されるのは
かえって良く無いのではないのか

実際「超!強力な武器」というのは
それを扱うだけでも
結構な 基礎力を要するものである.

スゴい武器を扱う体力も気合も乏しい人が
そんな世界に目を向けても
得るものは ほとんど無いどころか
それは、地道な基礎づくりの邪魔になる
可能性だって高いと 私は思う

武器の危うさ


このように考えると

「スゴい武器を持っていること」って
それ自体、

自分をダメにするネタを持っている
ようなところもあると言える.

何でも その「武器」がらみで考えちゃうのは
歪んだ考え方だとも思うし

とりたてて武器なんて持たずに
地道に、基本的なところを
ちゃんとしていくほうが
よっぽど「他と差のつく武器」になる
…という考え方だって、結構納得できてしまう

あとがき


「多彩な武器を、その都度、考えて作れる」
くらいの能力があったら、いいなとは思う

2017年06月22日

真面目なお調子者

調子に乗り過ぎ


私は、小学校の頃から
「調子に乗っちゃう」タイプだと、よく言われた

普段は、どちらかというと静かで地味なのだが
いったん、何かがウケたり、面白くなってくると
そこに全力集中して、周囲が見えなくなり、
やり過ぎてしまう.

そして…周囲や相手は ついていけず、
「嫌悪感や面倒くささ、重たさ」を
感じさせて 注意されたり避けられたり
…という結果になる.

突き詰める性格


その性格は、今も全然変わっていない.

たとえば、このブログだって、
別に 誰に「書け」と言われたわけでも無いが
生活の時間を削ってまでして書き続けており
…ブログの管理ページによれば
現在 3550記事(数)…だそうで、それって
我ながら、結構な入れ込みようだと思う

趣味などの面でも…私は
あまり他人が入れ込まないくらいの
「深み、しつこさ」をもって
それに取り組み続けることが多くて
ここに つきあい切れる人って、そうはいない

まぁ、でもこんな活動であれば、
誰に害があるでも無いから、気もラクではある



それは「調子に乗る」ということと
多少、イメージは違うかも知れないけれど…

でも、何かしているうちに
考えや行動がエスカレートしていって、
「どっかに行っちゃう、行き過ぎちゃう」
みたいな特性のあらわれだとは思う.

他に「ここまで」やってる人って
あまり見たこと無いし.

真面目さ


そして、言えるのは
「突き詰めてる人」って、極めて真面目である

気も散らずに、「それ(対象)」について
とことん、考えたり、イメージを広げて
そこに没頭し続けられる…というのは
いかにも「真面目」と言えるわけで.

だけど…それが真面目と言われるかどうかは
「している内容」による…とは思う.

たとえば、いかに懸命な取り組みがあろうが
それが
「必要も無いこと」
「趣味か遊びに過ぎないこと」
「現実や実用性と無縁なこと」だったら

それは
「遊んでる、怠けてる」とみなされ、
普通の感覚では「真面目」には見えないだろう

音楽


ただし、それが「仕事内容」ならば 問題は無い

それがいかに
「現実や実用性と無関係な、趣味か遊び」的な
ことだろうが、それを仕事としてやれるならば

どんなに「とんでもない方向」に考えが行こうが
「どこまでも」突き詰めようが、何の問題にも
ならないどころか、そうしたことは
価値を高める可能性を持つわけで



それに、「絵画」や「ストーリー」だったら
多少は「現実」を意識する必要もあるが

音楽という分野は、
現実の何を反映しているでも無い
そもそも「虚構100%」なコンテンツであるから
現実や実用性から乖離した考えで行こうが、
どのように空想や虚構の世界を広げたり
深めていったり、「脱線」しようが
ほとんど問題にはならないわけで

調子にのりやすい自分にとって、
音楽制作という分野は 都合の良い世界だと
つくづく思う

創造性


このように考えると…「真面目なお調子者」
みたいな人は、創作に向いているかなと思う

つまり…まず一つ、
「普通の人には ついてこれないほどの
入れ込みやこだわり」の領域に入り込めるほどの
「調子にのりやすさ」があって

そして、もう一つ、
いかに実用性に乏しい分野だろうが
「どこまでも突き進める、広けていける」ほど
コツコツと取り組める真面目さがあること

そういった資質を持った人からこそ、
普通には思いつかないような発想や世界観を
高度に(深く、詳細に、リアリティをもって)
表現した、オリジナリティと豊かな内容を持つ
創作物は 出やすいだろう

問題点


まぁ、そうした特性か性格って、
自分が そうだから分かるのだが
「いいことばかり」でも無い.

冒頭に書いたように、調子に乗りすぎると
他のモノは、目に入らなくなりがちで、
周囲に迷惑をかけることが 実際に多くあるし

自分だけの問題としても
「深読みしすぎ」になりがちだとか
勝手な「妄想」や「怒りや不安」が広がりすぎて
これが止められずに苦しむ展開にも、なりやすい.
(どれも、過去の自分の経験として何度もある)



だけど…「深読み」や「妄想」的な特性だって
何か一つのネタを見て、勝手にあれこれと
考えを広げていけるという特性だと考えれば
創作をする上で、役立つことも多いわけで、

まぁ、どんな特性や性格だって 使い方次第で
武器にもなるし、問題にもなりうるというのは
当たり前のことではあるか
posted by qzb02432 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自己紹介など