2020年03月10日

無知を察するセンス

自力の学び


子供の頃は、学校や親から
様々なことを学ぶものだが

大人にもなれば、たいていの物事は
自力でも、結構学ぶことができる感じになる

…たとえば、入門書を買ってきたり
ネット上にも、丁寧な解説ページがあって
それらを読んだり、それらの通りにすればいい

まぁ、独学だと
自分が学びたい部分だけを学べてしまうから
かなり「偏る」危険は あるけれど
たいていの場合は、独学でも
かなりのところまで行くことは できると思う

分かってない


ただし…特に、芸術やスポーツなどの分野だと
学びが うまく進まないことも多いと思う

何故ならば
『自分が、何が 分かっていないのか』が
分かっていない
まま、頑張ろうとするから

あるいは
「何か、軽視か無視している要素」の
「重要性」が、分かっていない
ということも、よくある

独学の場合は、
「自分で『これを学ばなければ!』と
自覚できないポイント」は
学ぼうとも思わないことがあるわけで

ある分野について
「必要性、重要性が分からない」とか
「そんな分野があること自体を知らない」
ままで いると
いつまでたっても、レベルが上がらない
…なんてことも ありうる

「分かってない」が分かる


子供の勉強を見ていると…

「(この子は) 何が分かってないのかが、
分かってないな」…と思えることが
たまにあるものだが

そういうことは、大人にだってありうる.



創作の世界でも
「初心者ほど、自信満々」…なんてことは
よくあるけれど

それって、自分(の品)の
「何が悪いのかが、分かっていない」
「何かが欠けていることに 気づけ無い」
「何が分かってないのか、分かってない」

あるいは『ある要素』が
自分が是非とも学ぶべきor知るべき
重要なことであると 自覚できていない

そのままでは、
いかに いい教材が世の中にあふれていようが
いかに当人に 強い向学心があろうが
学びは、うまい具合にすすんでいかない

だって、学ぶべきことを分かってないのだから

センスも大事


「ノウハウ本や 解説書」だって
すべてが、うまく説明されているわけでも無いし

「高み、最先端」に いるような
一流の技術者やアーチストが
「説明上手」とも限らない.

教師がいるうちは、
うまくいかないことを
教師の「せい」に してもいいかも知れないが

どんな分野だって、レベルが上がっていけば
もう、自分に丁寧に教えられる人が
いなくなる時は、必ず来る

それまでに、
「自分の『分かってない』が分かるセンス」は
身につけておきたいものだし
このセンスは、何事にも
役立つものでもあるはず
posted by niwatori | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育、学び

2020年03月08日

ハイレベルを求める姿勢

集まるレベル


人というのは、おおよそ
「同じくらいのレベルの人たち」が
意識され、集まるものではある.

たとえば、高校や大学のクラスメイトなどは
同じ試験に受かった者同士であるし、
同じところを志望したということは
何か「似た所」は、多めであると思える

職場で 一緒に働く人たちなども
…もちろん、色々な人がいるとは思うけれど
今、同じ場にいるということは
同じようなことを思って、
そして、レベル的にも、行けるような所を
考えた者同士ではあるわけで

レベル違い


もし、場に そぐわないくらいに
ハイレベルな人材が やってきても

そのような人は、場の雰囲気から
「ここは、自分がいるような所では無いな」
と感じ、やがて去っていくもの.

教師


教師と生徒の関係にも…これは言える.

たとえば、教師や講師が
「うちの生徒らは、ヤル気無くレベルが低い」
と感じることが多いのであれば

それって、教師である自分自身のレベルが
相応に低いからである.

…というか、レベルが低い集団というのは
誰もが、周囲の皆(友人でも教師や上司でも)に
対して 批判的、不満的なイメージを持ちがちだ

それは、レベルというもの自体が
「モノの良い側面を捉えて、それを活かす能力」
そのものだから




だから逆に…教師から見て
「優秀でヤル気ある生徒たち」と思えるならば
それって、教師が優秀だからこそだ.

優秀な教師は、どんな生徒に対しても
「優れた側面」を感じ取って、
それをカギとして、生徒を伸ばそうと考えるし
そうした流れにあれば、相互の信頼関係も
築かれ 強固になるものだから

つきあうべき相手?


たまに…何かの「教え」のつもりなのだろうか
自分のレベルを上げるためには
自分よりも レベルが高い人とつきあえ
というようなことを
アドバイスする人が、いるけれど

それこそ大変に失礼で勘違いな話である

まぁ、たしかに 優れた人の周囲には、
相応にハイレベルな人が多いだろう

でも、そう「なってる」のは
各個人が相互に相手の「ハイレベルなところ」を
感じとり、互いに尊敬の念を持つことができる
ほどの「センスや能力」を持っているからだ



間違っても
自分のレベルを上げる「手段」として
相手を見たり、求めたりしているわけでは無い

…というか、ハイレベルな人から見たら
そんな「低レベルな『欲しがり』」が
近寄ってきたら、迷惑なだけである

あとがき


実際、レベルが低い人であればあるほど
同じ人たちを見ても
「レベルが低い奴らだ」と感じるはず.

一方、レベルが高い人は
同じ人たちの中に、良い部分を見出して
これを活かし、その集団自体のレベルを
実際に上げてしまう…なんてこともある.



結局のところ、
周囲の何に対しても「良さを見いだせる」
ということこそが、
レベルの『本質』なわけで.

2020年03月06日

殺到する所

ブームに乗る


「流行、ブーム」のモノには
人が殺到し、飛ぶように売れていくもの

そして、今、何がブームなのか?を知るのは
ほとんどの場合、簡単である.
何故ならば、テレビや各種メディア、ネット上で
多くの人がネタにしているものこそが、
「それ」なのだから.



だから…自分の所に 人を殺到させたければ
その「ブームの最中のモノ」を
自分も 同じように やったら(売ったら)いい.

ただし、それが
「誰にでも出来るようなこと」ならば…だけど

ブームは去るもの


そして…これまた分かりやすいことではあるが

「ブーム」というのは、やがて去るもの.

いかに、今現在は、人が殺到して
「商売的に大繁盛」していても
その状態は、長くは続かないことが、確実.

ブームに便乗した商売で
うまくやっていっている人というのは
それが分かっていて
最初から「すぐに撤退出来るように」考えて
売り場や工場を設置しているわけで

いかに今ブームでバカ売れしているからといって
「これで、何年もやっていこう」などと
考えるのは「間違い」だと断言できる

急落する価値


しかも…ブームに便乗したモノの「価値」って
ブームの前半(絶頂期)くらいまでしか
「もたない」ものであり

ブームが絶頂を迎えているタイミングで
商売や創作を「開始」しても、
すでに 手遅れであるのが普通.

何故ならば…「絶頂期」というのは
ライバル業者も、最多の時期だし、
そんな時に 飛びつくような安易な考えをした
業者が「多数の同業者と一線を画するような
差別化」が 出来るわけも無いから

しかも、絶頂期というのは
大衆が「飽き始めるタイミング」でもあり、
価値は 急落していく一方だから

創作も同じ


似たようなことは 各種の「創作」にも言える

業界を賑わせるような
「話題のジャンルや、テーマ、作品」に
便乗しよう!…と思うこと自体は

多くの人が考えることだろうし、
悪いことでも無いだろうが

でも…「誰もがやってる」状況になってから
自分が、それをしてみても
全く「価値」には ならないどころか
「マネしてる」と思われて
価値や信頼が 急落する危険だって高い.

個人的には、何かが「ブーム」だと思ったら
それは「避ける」くらいに 考えていないと
クリエイターは 自らの存在感を保てないだろう
(…とすら思う)

革新的な技術


あるいは…創作ツールやソフトウェアに

「今まで 面倒だった作業が圧倒的にラクに
なるような、革新的な機能や技術」が搭載されて
業界の 誰もが それを買い求めるというような
流れに なることって、時に あるけれど

そのような「在来の作業が、自動で(格安で)
できちゃう」ような 新技術というのは、
要するに、
「価値を無くすモノ」だと心得るべきだと思う



たとえば…これまでも、各種の
「機械化、コンピュータ化、AIの導入」などの
技術革新が あったけれど

それにより、人の仕事は
一瞬だけ「ラクになった」感じにはなるが

やがては、その仕事自体が 価値ではなくなり
「仕事では無くなる」流れに なるもの.

それに、自動化され、格安になって
素人にも 手軽に出来るようになったら
「それが出来ること」は、
いよいよ 何の価値でも無くなる.

つまり、人が殺到するような技術って
「高い価値をうみだすもの」というよりは
「価値を価値で無くすもの」とみなすべきだろう

あとがき


大昔だったら
「人が殺到するところに、チャンスあり!」
みたいな イメージも あったかも知れないが

今は、ほぼ逆になっている.

人が殺到するようなモノには、気をつけないと.

…まぁでも、殺到するようなモノは
すぐに 分かるものではあるが

2020年03月04日

正攻法

高い実力


どんな分野でも
その道の「プロ」などは、実力が高い

…当たり前ではあるが
「レベルを上げていく」とは
基礎的な知識や技術を 一通り会得して
「普通に、正攻法で」上手く出来ることを
目指すことを言うわけで

言ってみれば、プロやハイレベルな人とは
「正攻法を心得ている人」のことを言う

実力だけじゃない


ただし…世間の注目を集めたり
ヒット作を出して 大儲けするのが目的であれば
高い実力が絶対に必要だとも限らない.

たとえば「料理」だったら…
料理の腕前は、一流では無くても
大衆の興味を そそるような
ウケ狙いな「メニュー」が当たったら
人が殺到し、一流店よりも、儲かる…なんて
ことも、あるだろう



つまり「料理は味で勝負するもの」と
決まっているわけでは無い.

まぁ、そう思いたい人は 多くいるかもだが

客の集め方や、宣伝の「企画力」や
一発アイデアが「まぐれ当たり」することで
料理の腕前は、素人同然の人でも
プロの料理人や料理店に「勝つ」ことは
あるものだ

実際の「勝者」


特に、古くからある分野だと

その分野の勉強を真面目にしてきて
厳しい鍛錬や修行をこなしてきたような
「レベルの高い人」が、多くいるような
業界が、普通にあるものだ.

たとえば「音楽業界」などは
幼少の時から 音楽のレッスンをしてきて
一流の音楽大学を出たような
「ハイレベルな人」も、結構いるはず



でも実際に 業界でヒットを出しているのは
そのような「実力者」ばかりでは無い.

たとえば「歌手」として売れているのは
声楽をマスターしたような
一流レベルの歌い手では無くて
歌のレベルは、普通よりもちょっと良い程度の
「歌い手」であることが多いようには見える

彼らは、そもそも
「歌唱のレベル」で 勝っているわけでは無い

ただし、歌手や、それを売り込む事務所は
かなり「勝つ気」でいるから、
あれこれと売れるための策を考えて
企画づくりから、売り込みまで、頑張っている

勝つために


今日、言いたいことは
相手のレベルが、
自分よりも はるかに高い相手に対して

『正攻法』で 挑む人など、いないだろう

一流の人や店が、すぐそばにあったら
「実力勝負」なんてしても、ムダに決まっている

そう思っている人は
「奇策」で、対抗してくる.

…というか、そうでない
「ただ実力の低い、普通にやる人」が
いたとしても、そこに存在感は全く無く
「いないのと同じ」とされる(うちに、
実際にも、消えていくしかなくなる)

リスクは高くても


もちろん、そうした
「奇を狙った策」は、リスクが高いものだから

何だとも思われないこともあるし、
一発屋として、短命に終わっちゃうことだって
多くあるだろう

でも、実力差が明らかな場合は
「正攻法で挑む」よりは可能性はあると言える

だから、実力差を自覚している素人ほど
「高リスクな奇襲しか仕掛けてこない」
という感じになるはず

創作の世界


特に、今時は
音楽や、演技や芸を動画配信したり
自作のストーリーや、作品を作って披露だけなら
金銭的に、ほぼタダか、格安でできちゃう時代.

ネットに公開して、全くウケなかったとしても
「深刻なリスク」なんて、ほとんど無いのだから

正統的な意味での実力なんて無くても
「ウケ狙い、企画で勝負」的に、
様々な「奇策」を仕掛けてくる人が
いくらでもいる.

彼らは プロでは無いからこそ
「ダメで もともと」という前提で
日々、思いついたネタを披露してくる

もちろん、その多くは 外してしまうわけだが
でも、総数(参加人数も、作品数も)が膨大だから
ネットを見ていれば
毎日のように「意外なおもしろネタ、創作」や
「感動の活動」などを、目にすることにはなる



「大衆の関心を集める」という勝負で言えば

すでに、一流のプロの正攻法による作品よりも

「どこの誰とも分からない素人の
思いつき的な品」のほうが、勝っている.

…まぁ、そりゃそうだろう.
だって、プロの相手となるのは
「正攻法」を、最初から 考えもしていない
「まぐれ当たりでも、勝てれば 勝ち」という
前提で頑張っている、大軍団なのだから

プロとして


でも…だからこそ
「正統的な作品」のレベルで勝負するのが
プロっぽいプロだという考え方もできるか(も)

あるいは、逆に プロであろうが
『ネタも』頑張ることで、
プロにしか出来ない当たり方が出来るはず
…という考え方もあるはず

2020年03月02日

余裕の使い方

ゆとり教育


数年前だったか、「ゆとり教育」という
ことが、強く言われた頃があった

要するに…あまりにも詰め込み的、一方的な
教育方針に過ぎると、
子どもたちが、自分で考えて動く…というような
「自主性、主体性」の成長が害されるかも
…という 危機意識から、それは言われたと思う

まぁ、たしかにそうかも知れない.

けれども…この「ゆとり教育」は
あまり うまく機能しなかった

余裕を使う


何故ならば
「ゆとり、余裕、自由」といったものを
うまく、有効に使うのって、難しいことだから

大人だって、
「ヒマやカネ、自由」を与えられたら

「欲に任せて遊んだり カネや時間を浪費」したり
「ただ、なんとなくだらだら過ごす」だけ
…に なりがちなわけで

ましてや、子供や学生なんかに
「ゆとり」を 与えてみても
それを 有効に使うだけの考えや技術を
持っているわけでも無いから

結局のところ、親や教師から与えられた
「課題やテーマ」に 従い、
その「ゆとり」を消化するか
あるいは、漫然と ラクに過ごすだけ
…という風に なりやすい.

何をすべきか?


そもそも
「余裕、ゆとり」を上手く使える人というのは
「余裕、ゆとり」を作り出せるような人だろう
と思う.

だって…考えてみて欲しい
もし、自分に「時間やカネ」が充分にあって
仕事みたいな「すべきこと」が無かったら

日々を どう過ごす?

この「問い」に…自信を持って
有意義な回答が出来る人のことを
「ゆとりを上手く使える人」と言うと思う

そして、この資質か能力って
他人から、あれをしろ!などと命令されなくても
自分で 自分や自分の環境の活かし方を考えて、
「もっと楽しい有意義な世界にしていく」
姿勢か意欲の反映にも なっているはず

そのような人は、たとえ
何も すべきことが無くても
「楽しいこと、価値あること」を自分で考えて
それをするわけで…

そのような人は 当然ながら
日々の生活や仕事での「パワー」もあるはず

モノづくりと余裕


クリエイターが関わる、創作の道なども…

まぁ、最初(初心者〜中級者)のうちは
作り方や、道具の扱い、理論とか、
各種のノウハウやコツを会得したり、
制作経験をとにかく積んでいく必要があるわけで

とにかく「学ぶべきことだらけ」で
「ゆとり、余裕」なんて、ほとんど無い.

でも…だからこそ
プロになっても 最初のうちは
「言われたモノを ただ作るだけの人」
「言われたモノを ただ作れるというだけの人」に
なりがちだ.



一方、クリエイターとして
その分野での存在感やオリジナリティを
確立している人というのは

「自分は、この制作の能力を
『何に 使ったらいいのか』」ということを
考えている.

秀でたクリエイターって
「知識豊富で 技術に長けている」というよりは
「今まで、誰も考えたことも無いような
表現やモノを考え出してる」わけで



…で、それって、自分の持つ 時間やパワーを
「レベルアップ」だけに使っているのでは無くて
その自分の能力や資質を
「何に作ったらいいか?」と考えているからだし

それを 考えるだけの「余裕」を
『持っている』からだろう.

…というか、もっと言えば、そうした余裕を
『持つ必要性が分かっている』ということ

分かる人が使える


要するに…
「余裕、ゆとり」というのは

「余裕、ゆとり」を持つ必要を、
自分で悟れるくらいの 域に達している人こそが

有効に活用できる
というもの.

まぁ、誰だって
「ゆとり」は 欲しいモノではあるが

それを有効に使える自信が無く、
その考えを持っていないような人に
ただ「ゆとり」だけを与えてみても…
単に 自己の保身や娯楽に使うだけで
良い展開を生み出すことは ほぼ無いかも

もちろん「全く無意味」とまでは言わない

その余裕を使って
「勉強(レベルアップ)や仕事」で無くて
それによって、パワーを得た
「自分の使い方」について
考える きっかけが得られるというのであれば
きっとそれは 有効に使われるだろう.

(だが…そうで無いならば
普通に、勉強していたほうがマシだとは思う)

あとがき


人は「レベルアップ」のために
生きてるわけでは無い

何か、たいした業績や創作、影響を
残すために、自分のレベルを上げているだけで
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