2017年12月12日

感謝の心

何かのおかげ


今、自分が、今のような生活ができているのは
様々な要素の「おかげ」である
…と、考えることは、いくらでもできる.

たとえば、それは
「家族」がいるからだし
「家」があるからだし
「職」があるからだし…

恵まれている


考えてみれば…日本人って
日本という国に産まれた!というだけでも
結構、恵まれている.

だって、世界の他の国と比べたら
日本は、わりと安定していて、平和だし
様々な面で 暮らしやすいほうだから.

当たり前のことでも


さらに、考えてみれば…

自分は、五体満足で、手足もちゃんとあって
目も見えるし、耳も聞こえるわけで

…世の中には、そうで無い人もいることを思えば
自分って、それだけでも かなり恵まれている



もっと当たり前のことで言えば…

我々が済んでいる地方は、晴れや雨などの
天気や季節の変化があって、
我々の足元には 地面があって、
大気には、酸素が含まれているからこそ
自分は、当たり前のように生きてこれてる.

感謝


そんな風に考えてみれば…

たいていの人は
「今の自分(の境遇)」が 非常に恵まれていて
様々なモノに対して
感謝の心を持ってもおかしくはない
…と、思えるのでは、ないだろうか?

感謝の心


だけど…私も含めたほとんどの人は
普段は「感謝の心」なんて、持てていない.

それよりは、様々な「不満、批判」的な
心のほうを 強く意識していることだろう.

何故ならば
「感謝の心」というのは
当たり前のモノたちを、
わざわざ、とりたてて意識しないと
感じられないものだからだ.

不満


一方、自他に対する不満や批判の心は

「酷いモノ、困ったこと」に出遭えば
自然と わきあがってきて
人の意識を占領しやすくもある.

羨み


あるいは、
「自分よりも、スゴい(上位の)モノ」や
「自分を負かした、勝者」には
あこがれや、羨みの気持ちを持ちやすいが

自分よりも「下」のモノには
さほど、何だとも思わないものだから

自分が恵まれていると思えるような
「比較対象」って、意識にのぼりにくい
…ということも、あるかも知れない

優越感


まぁ、人によっては
TVなどで、有名人の不祥事だとか
ネットの炎上騒ぎなどに意識を向けて

「自分よりも ヒドい存在」を意識しながら
「優越感」を 味わうような人というのも
いるかも知れないけれど…

この「優越感」というのは
「劣等感」と同種のモノ(というか裏返し)であり

「感謝の心」とは、根本的に別種のものだ.

原動力


たまに
「人(相手)よりも、優越したい」とか
「上位、日本一、世界一になりたい!」
ということを 原動力に
モノゴトを「頑張る」人っているけれど

そういう
「劣等感をバネに頑張る」だとか
「ハングリー精神」みたいな考え方って
非常に「卑しいもの」だと私には思えてしまう.

「下」の意識


そうじゃなくて
人は、どんなレベルにいようが
今現在、「様々なモノのおかげ」で
結構 恵まれたポジションにあって
…だからこそ、自分が決めた道を
極めることに、注力していられる

そう思えているほうが、
ずっと健全であるはずだし
そのために「下」を意識すべきなのだ.

優越感を得るためじゃなくて、感謝のために.

「上」の意識


逆に…「上」を意識する際も

それは「うらやむため」に
自分よりも 上位の存在を見るのでは無くて

「人って、こんなレベルにまで行けるのか!」
という、可能性を意識するのがいいと思える.
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2017年12月11日

競争意識の排除

排除すべき意識


とても大事なことだと思うので
今日は、言いたいことを最初に掲げておくが…
自分や、自分がすること、創るモノを
「より良く」と考える上で

害になり、真っ先に排除すべきは
「競争意識」である

まぁ、誰だって
ライバルみたいな存在を意識して
それらに「勝ちたい!」という気持ちは
ゼロでは無いだろうが

「勝ちたい!」とか「負けるものか!」
みたいな意識は、
モノゴトを良くする上で
全く、何の役にも立たない.

対戦ゲーム


たとえば、「対戦」できる
ゲームソフトというのが結構あるが

「相手が人間」であれば
それは「人間同士の対決」を面白がれるので

ソフトの内容としては
それが カードバトルだろうが
格闘だろうが、パズルやクイズだろうが
何であれ、結構 楽しめるものである.

たとえソフトの「デキ、操作性」などは悪くても
シナリオや各種の趣向は ずさんであっても
「相手の人と対決」すること自体が
面白いものだから.

していることは何?


逆に言えば…それってつまり
「競争」の枠組みに ハマっている人は

「自分が本当にしたいことをしているかどうか」
なんて、どうでもいい.
ということ.

これは現実社会でも すごく多くあると思うが
たとえば…企業ならば
「ライバル会社に勝つため」に
あれこれと工夫や戦略を重ねて
「勝つこと」に 意識を向けているならば

その「業務内容」が何であろうが
結構、充実感が得られるものだし
勝てれば、大きな達成感を味わえる.

そのような人たちを、私から見たら
…でも、それって
本当に あなた(たち)が、したいことなの?
と思ってしまう.

極める


人は、そんな くだらない「争い」に
人生を使うのでは無くて
自分が したいことを極めるために
時間や意識を使うべきだと、私は思う

自分に向いてる!と思えた分野で
「より面白く」とか「より美しく」…などと
極めたい道を、極めたいように極めることで
充実感は得られるだろうと思う.

そして、自分の理想に向けて
モノゴトを極めていっている人というのは

自然と、その他大勢の人よりも
際立ったポイントが、輝いてきて

競争の意識なんて持っていなくても
自然と、高い評価や 売り上げに
「なってる」ことも 多いと思う.

道の選択


…というか、そのような
「自分が行くべき道」を選ぶ上での
ひとつの目安が
競争相手なんていなくても
そこに没頭していられるかどうか
ではないのか.

まぁ、そんなに難しく考えなくたって
「他人よりも優れること」が目的だなんて、
すごく虚しく、くだらないことだと
私には 思えるけれども

あとがき


もちろん、まっとうに考えた結果の
自分の道が
いわゆる「勝負事」ならば
それはそれでアリだとは思うけれど
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2017年12月10日

過敏

敏感


ひとくちに「センスが高い」と言っても
その定義は、一概には言えないとは思うけれど

その一つの要素に
「感度の高さ」って、あるはず.

ちょっとした変化にも気がつくことができて
ちょっとした違いも区別することができ、
比較する意識を持つことができるかどうか

その精度を高く持つ「感度の高い、敏感」な人は
より「細かいところまで見える、配慮できる」
わけで、それが より良い結果につながる

目の良さ


それは言ってみれば「目の良さ」みたいなものだ

たとえ、センスが「良く」は無くても
目が良くて、細かい違いも区別できたら

それをもとに「どういうのが より良いか」を
考える機会も増えるわけで…
そうしたヒントを多く持っている人のほうが
センスが「良くなる」見込みも高くなる.

このように
センスを「良く」していく上でも
「感度が高いこと」は、有用だろう.

過敏


ただし…「過敏」という状態には 注意したい.
「過敏」というのは
「感度が高すぎる」ことを言うのでは無くて

何かを、感じ取ろうとして
「すごく『かまえてしまっている』」状態であり

感じ取ったモノを、必要以上に
「おおげさな反応」してしまうことを言う

このような状態でいて
良いことは ひとつも無い.

「敏感」と「過敏」は、
根本的な意味が全然違うのだ.

過敏な人


過敏な人というのは
感じ取ることに、意識を集中している.

だから、その間
他のことを考える余裕を無くしている.

「かまえちゃってる」から
変化を「受け取ることで精一杯」だし

そのような人は
かまえて無い時(忘れている時)は、感じ取れない

概して、そのような人は
「感じ取る能力が高い」のでは無くて

感じ取るために「特別体制を採っている」
というだけのことだから

感じ取ろうと懸命な時には
他のことが、感じ取れないし
受け取っているモノを 総合的に考える余裕も無い

それは、感度が高いどころか
むしろ、感度が低いからこその「頑張り」
みたいなもので.

神経質


過敏な状態というのは、
「神経質になっている」みたいなことで

人の「性能や能力」のことでは無くて
「行為や習性(くせ)」に近いものかも知れない

たとえるならば、それって
「目が良い」というよりは
「望遠鏡や顕微鏡を監視する」みたいなことで.

人が過敏である際には
「感じ取ること」に、とらわれていて
その間、他のことに対しては
全ての能力が下がる.

まぁもちろん、そうした「観察」も
有用に働くことはあるだろうが

できれば、何も「して」なくても
単に「目が良い」ほうが、もちろん望ましい

2017年12月09日

欠点が目立つ人

低い意識


ネットやテレビなどをダラダラと見て

芸能人などの不祥事だとか
他人の失敗とか欠点に意識を向けて
これを指摘とかするような人って
「ヒマな人」だなぁと、つくづく思う.

ヒドいモノが見える


これは…逆を考えてみれば分かると思うけれど

たとえば、ゲームに熱中していたり
意欲的に取り組むべきテーマを持っている時って

少しでも したいことのために時間を
使いたいもので…
食事やトイレに行くのも面倒だし
ましてや、自分と ほぼ無関係な
どこかの他人の失敗や不祥事などに
意識を向けてるヒマなんて無いわけで
世の中の「ヒドいモノ」が見えて、
これが意識にのぼるような人というのは

それを見ている当人が
「レベル低め」であるということ
だと私には思える

自分の欠点


自分自身の中にある
「自分の 悪いところ」にばかり
意識を向けている人…も 全く同じ.

自分の欠点が 気になりまくる人というのは

自分の中に「これといったポイント」を
見出していなくて
自分なりに
「発揮したい、表現したいポイント」が
何も無いから…である.

何にも 生産的な取り組みが出来ない人は
自分の欠点が、気になり、気にする.



まぁ「自分の欠点に目を向けて
その克服に注力する」のは

ある意味、立派なことかも知れないし
ある程度は 必要だとは思うけれども

「それしかない」のは、
全く立派だとは思えないし、

欠点克服などよりも
もっと大事なことがあるはずだ

クリエイター意識


そして、以上に挙げたような意識は
基本的には、クリエイター意識の
真逆を行くものばかりだとも思う.

つまり…自分の中にも、世の中のモノからも
「面白みや良さを見出す意識」に乏しいから

何かを より輝かせたい!とも思えず
クリエイティブな行為もはじまらない.

そして、ヒマな意識で
世の中の酷いモノに目が言って
これを攻撃したい気分になる.
たとえば…ネット上の炎上に参加するとか.

そういう人って
攻撃している対象と 同レベルなくらいに
レベルが低いと思えてしまう
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2017年12月08日

条件が必要

たったこれだけで…


たとえば「デイトレーダー」として
稼いでる人は
「パソコンの前にいるだけで、
大金を稼いでる」…と言えなくもない.



たとえば2
「コピーライター」のような職業の人は
「ちょっと言葉を考えるだけ」で
儲けてるようにも見える



ネット上で 電子書籍や情報販売を売る
…なんてのも
「アップロードするだけで、大金が手に入る」
みたいに とらえることもできるわけだし



トップレベルのアーチストだって
「紙に、ちょちょいと何か絵を描くだけで
何万円もの価値になる」だとか

「ギター一本かかえて、弾きながら歌えば
人が集まり、カネがとれる」みたいな
伝説もあるかも知れない.

していること


どれも…その言葉だけをとってみれば
すごくラクそうではある.

「パソコンの前にいるだけ」
「ちょっと文字を並べるだけで」
「メール一通で何億円」
「さらっと表現するだけで価値」

たしかに「していること」は、それだけ
というように見えなくもない

誰でも出来る


そして、たとえば
「文字を並べる」「絵を描く」なんてことは
誰だってできるものではある.

誰もが学校で作文を書いてきているし
絵を描いたり、彫刻や書道や、
作曲、楽器、歌…などの体験はあるはず
実際、それらは誰でもできることなのだ.

だけど…まぁ当たり前のことではあるが
「ちょっと文字を並べるだけで何千万円」
なんてことは、
普通の感覚では、絶対にありえない

いらない!人


「音楽理論なんて勉強しなくても
ヒット曲は作れる」みたいな言葉にも
似たようなことを感じる.

そのような人は 実際にいるとは思うが

でも、勉強もしてないのに
ヒット曲が作れちゃうような人って
「相当な何か」が ある人に限られる.

そして、それほどの才能がある人は
現在 既に、相当なモノを多数作っていて
かなりのファンを抱えているはずなのだ

「〜なんて、無くても平気!」な人って
それほどに スゴい存在なわけで、
そんなことは、誰だって分かるはず.

つまり
「無くても平気、OK!」なためには
どれだけ スゴイ条件(非凡な才能)が
必要なんだろうか
…という話.

眠った才能


まぁ、「まだ自分でも知らない、眠った才能」
が、自分の中に 無いとも限らないけれど

でも、才能というのは ほとんどの場合
持ってる人は、
既に その片鱗を周囲に見せている.

たとえば、接客の才能がある人は
小学生の頃から、良好な人間関係が
多くあって、いい友人に囲まれているはず

そのような人が「対人が活きる職業」に就けば
それこそ
たいしたモノ(条件、勉強)を持っていなくても
上手くやっていけるはず.



逆に言えば…今まで、対人の場や人間関係を
保つののも苦手だった人が

ある職に就いたことをきっかけで
「眠っていた才能が開花する」なんてことは
可能性として、ほぼゼロだと思う

…というか そんな奇跡みたいなモノを期待して
「〜だけで、稼げます!」みたいな
言葉に 踊らされる人って
いかにも 見込みが無いと思ってしまう